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現在の新しい雀宮駅 一つ南の羽牛田踏切 ここからから雀宮駅方向 駅方向には道が有りません しかしここから南方向専用線の跡の道路 途中から砂利道、牛塚古墳跡(墓地)が右に 次の牛塚踏切 ここから雀宮駅方向に専用線の跡の道路 南方向は道が消えている 南に三つ目の長島踏切り 北の方向は民家 南方向に専用線の跡の道路 南方向の専用線の跡の道路は途中で右折してしまう この踏切の西に社会保険病院 四つ目の第三茂原踏切の北側方向 西には自衛隊正門(旧関東工業の跡地へ) 南に専用線跡の道路「南雀宮駅」方向 ここに専用線貨物駅のあった場所 この両側に南雀宮駅の旅客ホームがあった 現自衛隊の南側に「共立精機梶v 解 説 砲弾を造っていた旧関東工業(日産自動車横浜工場の加工部門母体で造られた軍需工場)が戦後昭和22年9月に一旦全員解雇、 翌10月に平和産業として再出発したが結局昭和24年4月に解散閉鎖して国の所轄となった。 その後昭和25年11月警察予備隊(現自衛隊)が工場跡地に駐屯して現在に至る。 (トワイラ系レイルビュ「関東工業専用線幻の南雀宮駅」)の記事及び「雀宮地区の歴史年表」参考にしました、有難う御座います。 又、同じく昭和25年11月に共立精機が旧関東工業の跡地の一画に自動車部品等(当時)製造会社として創立した。旧関東工業との 関連が有ったと思われる。(旧関東工業の人達すなわち日産自動車の出身者で創立したのか?ー推測です) 南雀宮駅のページ「トライワ系レールビュー」LINK「関東工業専用線幻の南雀宮駅」(駅のホーム写真掲載) 1947年の航空写真「南雀宮駅」付近と専用線駅跡 西側は旧関東工業 (国土地理院ー国土変遷アーカイブ空中写真より) 北側にある建物郡は従業員最盛期約7,000人の居住家屋と推測される? GooglMapsで現在の自衛隊と南雀宮駅の跡(茂原の「原」字の南側付近) 画像中央右の白い建物が「共立精機梶v(創立当時と同じ場所) |
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期間限定でUPしていた番外編-1および番外編-2は削除しました。 番外編-3
番外編-4
番外編-5
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